ポストバブルの不況は二〇〇〇年代前半にようやく終わり、大都市の地価は上昇に転じた。しかし、不動産価格の上昇は長くは続かなかった。ポストバブルの住宅資産が不安定化した直接の要因は、バブルの崩壊である。しかし、バブル関連の要因だけではなく、持家の大量建設を推進する経済主義の住宅政策が住宅デフレを増幅した。政府は経済拡大のために持家建設を推し進め、一九七〇年代からは住宅政策を景気刺激策として運用した。住宅金融公庫は住宅取得の増量のために一連の制度を新設した。
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ステップ償還制度は七九年に設けられ、返済初期五年間の負担を減じた。親子二世代ローンを供給する承継償還制度は八〇年、特別割増貸付制度は八五年に始まった。バブルが膨張した八〇年代後半では、アメリカ・西欧諸国との貿易摩擦を背景とし、政府は内需拡大のために持家建設を拡張した。プラザ合意は八五年に成立した。その直後から金利低下が始まり、持家需要を刺激した。住宅金融公庫は八六年では割増貸付の増額、翌年には貸付限度額の引き上げと割増貸付の再増額、というように融資条件の改変を繰り返し、住宅購入を奨励し続けた。