「文法をどう考えるか」という問題について、ちょっと触れておきます。受験英語の影響もあったのでしょう、わたしは英語の文章というと、ちょっとややこしいものに遭遇すると、主語がどうで修飾語がどこに書かると、解剖したくなる癖がありました。そして、外国語として言葉を習得するにはこれが基礎になる、と信じていました。まず文法で、その次に読んだり聞いたりすることがある、と思いこんでいたのです。しかし、ポルトガル語を習得する過程では、否応なしにまず聞いたり読んだりしゃべったりし、必要に応じて文法を参照するという方法をとらざるをえなくなりました。それが思いがけず成果をあげたので、長年、わたしをとらえていた「文法第一の呪縛」から解き放されたのです。それでも、大人になってから外国語を習得するときには、とくに文法は避けて通れない問題です。外国語の習得が話題になるとき、決まって出てくるのが、「赤ん坊は文法など考えずに、母国語を身につけるではないか。だから、文法は必要ないのだ」という議論です。でも、赤ん坊だって、母国語をおぼえるときに「文法」を「お勉強」しております。なんてことを言うと、「そんなバカな」と思われるでしょうが、先だって、二歳半になるわたしの孫を観察していて、そんなことを考えたしだいです。うちの孫は、ドアがなかなか開かないときには、このあいだまで「開きない」と叫んでいました。そのたびに、こちらは「ほんとに開かないわね」と答えます。こんなやりとりを何度かくりかえし、またはテレビを観たり、遊び友だちの話す言葉を聞いたりした結果でしょう。近ごろでは、「開かない」と言うようになりました。つまり、「ない」という語尾がつくときは「開かない」と言うのだ、ということをおぼえたわけです。未然形だの否定形だのといった文法用語こそ意識していなくても、これも立派な文法のお勉強です。これはたまたま表面化したケースですが、〈開きない→開かない〉に似た過程は、幼児の頭のなかで無数に起きているのではないでしょうか。ただ幼児は、文法だと意識せずに、それをやっているだけのことです。ついでにいえば、この子はドアが開かないときも、閉まらないときも、「開きない」でしたが、近ごろは「開く」と「閉まる」の区別がついてきたようです。
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